バクティヨガ(愛と献身の道)

man meditating on seashore

ヨガはポーズや瞑想だけではなく、バクティヨガと呼ばれるヨガもあります。直訳するとバクティ(聖なる存在に全てを捧げて名を呼び祈るヨガ)となります。

インドではホーマ(護摩行)などお通して神と繋がります。

今、長野県唐沢山阿弥陀寺で行われている光明会のお別時に参加しています。

朝 5:30から夜9:30まで、食事と睡眠と作務以外はずっとお念仏をします。正確には食事も睡眠も作務も全ての行為の中でお弥陀様を想いお念仏します。

なぜヨガの先生が仏教の阿弥陀様なのか?ヒンズー教の神々ではないのか?とよく聞かれます。

実は20年前にインドへディクシャの勉強に行った時にお声を聞いてお顔を拝顔したのが、光明会の開祖弁栄聖者の描かれた阿弥陀様だったのです。

それ以来、私の中に見えてくるプレゼンス(人生を支えている聖なる存在)は満面に笑みを湛えた美しい阿弥陀様なのです。

バクティヨガはヨガの中でも悟りに近づくために一番早いと言われており、歴代の聖者はほぼバクティヨガを極めていきました。

有名な聖者では、アーナンダモイマー、ラーマクリシュナ、ラマナマハリシ、マータアムリタナンダマイなどです。

私にラクシュミというホーリーネームを下さったのはマータアムリタナンダマイですが、最初に聞いた時はピンと来なくて、ラクシュミがアクシュミと聞こえたほどです(笑)

長い時間のお念仏は最初は苦しみでしかなく、もう2度と参加しないと固く心に誓うのですが、日常の中で阿弥陀様をすっかり忘れていても、小さな奇跡を度々見せられ、唆され(そそのかされ)ついつい参加してしまいます。

でも続けていくと、念仏中に自分自身が変容してくるのがわかる瞬間がきます。細胞が刺激されて最初は浄化が起こりますが落ち着くと、いつの間にか時間も空間も忘れ、阿弥陀様の世界にお連れいただいてしばし阿弥陀様と遊ぶのです。

この状態をリーラ(神と遊ぶ)と呼びます。

この状態に入ると完全に至福状態となり苦しみを忘れます。体の痛みや悩み事など全くない世界に入るのです。

しかし、ずっとは続かないので何度もお念仏をしてやがてそのリーラの状態から戻らなくなります。その状態が安定して完全に溶け合うのです。

そうなった人を仏教では妙好人と呼びます。

ただ阿弥陀様の御名を呼び一体化して自分がなくなるのです。それを目指してお念仏に励むのです。

お念仏はお葬式で唱えるものと思ってきましたが、常に阿弥陀様を想い恋焦がれて阿弥陀様と繋がる唯一の方法だと説かれています。

こんな気持ちの良い体験、一度体験したらやめられません(笑)

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