前日の念仏会の時に長野から来ていただいたご上人様から参加者の皆様に最高のお土産をいただきました。
米粒名号です。
浄土宗の修行の一つとして米粒に「南無阿弥陀仏」を書くというものがあり、ご上人様は若い時から「南無阿弥陀仏」を小さな米粒に書く修行をされていたそうです。
うっかりしていると見失いそうな小さなお米一粒に「南無阿弥陀仏」の6文字を書かれるのですから相当の修行になるそうです。
ある時、同じように米粒名号を書かれていた浄土宗の尊い聖者がおられたとのお話を聞いて大変興味を抱かれたそうです。
その聖者は安政の頃のお方で山崎弁栄様と言われ、お釈迦様と同じような深い悟りの境地まで到達されたそうです。
弁栄聖者は生涯阿弥陀様のお使いとして日本中を回られたそうで、ここ広島県廿日市市のお弟子さんのお寺でもお別時が開催された事があるそうです。
美しい阿弥陀様の仏画を沢山書かれたり、法話の時には参加者のために米粒名号を書かれて渡されていたそうです。
不思議で素晴らしいエピソードがあり、いくつかご紹介したいと思います。
ある時子供を受胎しても何度も流産してしまい、なかなか子供が持てなくて苦しんでいる女性が尋ねて来ました。
弁栄聖者は「この米粒名号を飲み込みなさい」と言われたのでその場で飲み込んで感謝して帰ったそうです。
するとすぐに子供ができて無事に出産する事ができたのですが、その時その子供は手のひらに米粒名号を握って生まれて来たのだと言います。
あるお弟子さんに「聖者は尊い方なのにそんな曲芸みたいなことをされるのはおやめください。」と言われたのだそうです。
しかし弁栄聖者は「この一粒に書かれた南無阿弥陀仏を今まで仏心を忘れていた人が一度でも声に出して読むという事がなかなか尊いのだよ」と言われ書き続けたと言います。
ヨガの中でバクティヨガ(愛と献身の道)があると伝えられて来ました。しかし、実践するのはとても難しくインドの山奥で覚悟を決めて修行をしなくては無理な話だと思っている方がほとんどかもしれません。
インドのヨガを修行したお釈迦様から伝わって来た仏教は日本に伝わってから独自の形で発展しました。
「南無阿弥陀仏」を唱える修行を積むことにより、このような尊い聖者が沢山現れたわけです。
お経を唱えるのは法事の時しか馴染みのない私たちですが、「南無阿弥陀仏」を唱え、内なる聖なる存在を思いながら丁寧に生きる事がバクティヨガなのかもしれません。